2020年大河ドラマ麒麟がくる第17話で斎藤道三(本木雅弘)と斎藤義龍(伊藤英明)の家督を巡る争いが演かれます。(長良川の戦い)
長良川の戦いについてもっと詳しく知りたい方はこちらがおすすめです。↓

ですが、意外なことに斎藤家以外にも家督を巡った争いが起きた家もありました。
今回は、斎藤家以外の家督を争った戦いについて記事をまとめました。
この記事は小学4年生のくまぞうが書きました。

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まさかの三男・四男が家督を争った今川家のお家騒動
今川義元(四男)vs玄広恵探(げんこうえたん・三男)
今川義元(片岡愛之助)は、1519年に生まれました。
4歳の時に今川義元は、仏門に入りますが2人の兄・氏輝と彦五郎が亡くなったと聞き、
将軍・足利義輝(向井理)の一字をもらい義元と名乗ります。
義元は、家督を継ぐためにもう一人の兄・玄広恵探(げんこうえたん)を攻めます。
(花倉の乱もしくは、花蔵の乱)
義元は、太原雪斎(伊吹吾郎)や岡部などを率いて今川館を攻めると聞き退却します。
そのあとに、義元は北条の援軍も率いて花倉(蔵)城にて恵探を自害に追い込み
勝利しました。
次男に家督を継がせたかった父が追い出された武田家のお家騒動
武田信玄vs武田信虎(父)
信玄は、1521年12月1日に生まれました。
1525年には、信玄の弟・信繁が誕生します。
信虎は、今川との和睦を成立させます。
1536年3月、太郎は、元服して信玄と改めました。
しかし、父の信虎は信玄に家督を譲るのではなく、
信玄の弟の信繁に家督を譲ろうと計画を立てました。
そのことを聞いた信玄は、信虎が今川の領地に行ってる間に
兵を集め信虎が帰ってくると追放しました。
やっぱり自分の子がかわいくて、甥っ子を追い出した豊臣家
豊臣秀吉(おじ)vs羽柴秀次(甥)
秀吉(佐々木蔵之介)は、1573年に生まれます。
もともとは、農民でしたが織田信長(染谷将太)の下で出世します。
近江の大名になると中国地方の毛利を信長の命令で攻めます。
しかし、信長が本能寺の変で亡くなると秀吉は明智光秀(長谷川博己)を
山崎の戦いで討ちます。
山崎の戦についてはこちら↓

秀吉は、その後も大名を自分の家臣にしたり鎮圧していきます。
秀吉には、子供がいましたが亡くなってしまいました。
やむを得なく秀吉が甥の秀次に関白を継がせますが、
また秀吉に子供が生まれたため、秀次を追放します。
それでも収まらず秀吉は、秀次や一族を自害させました。
まとめ
今川義元は、兄・玄広恵探を自害させ武田信玄は父・信虎を追放した。
秀吉は、甥の秀次を自害させ一族も一緒に自害させた。
戦国時代は、大名たち皆国を豊かにしたいそのためにやむをえなく父・を追放した
甥を追放した兄を自害に追い込んだなどの家がありました。
今回は、その大名について書きました。

麒麟がくるの参考にしてくださいね。
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