本木雅弘(大河ドラマ麒麟がくる斎藤道三)のプロフィールと見どころ紹介

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大河ドラマ麒麟がくるで明智光秀の主君・斎藤道三を本木雅弘さんが演じます。

この記事では、本木雅弘さんがかっこいいと思った人のために、プロフィールや出演作品をまとめました。

また、本木さんが演じる斎藤道三はどんな人だったのか?まとめてみました。

大河ドラマの参考にしてみてください。

 

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斎藤道三とはどんな人?

 

斎藤道三の生い立ち

斎藤道三は1494年又は1504年に、山城の国(今の京都府南部)で生まれたとされています。

 

斎藤道三は生まれた時、父と同じ「峰丸」と名付けられました。

 

道三の主君である土岐頼芸は、兄・政頼と家督相続争いに破れます。

 

道三は密かに計画を立てて、1527年に家督を継いだ土岐政頼を越前の国(今の福井県)に追放して、無理やり土岐頼芸に家督を継がせます。

 

この活躍により、道三は土岐家家臣団で最高の実力を誇りました。

 

 

「美濃のマムシ」と呼ばれる理由とは?

 

このようにして、斎藤道三は主君土岐頼芸から信頼を得ていた道三ですが、それを不満に思うものもいました。

 

 

それは、長尾長弘です。

ですが、斎藤道三はそのことに気づいたのか、1532年に長井長弘を追い出しました。

長井家の城「稲葉山城」(後の岐阜城)を居城にして、長井家を乗っ取ったのでした。

 

 

その後、主君である土岐頼芸の甥である土岐頼純が土岐頼芸に対して反撃の機会をうかがっていました。

再び、家督争いがはじまります。

それに気づいた土岐頼芸は、道三に突撃を命じます。1535年、道三は土岐頼純を攻め入ります。

 

この戦いは、斎藤道三・土岐頼芸vs土岐頼純だけの戦いではなく、他の大名たちも加担したため、美濃全土に広がるほどの戦いとなりました。

やがて土岐頼純に味方していた六角氏・斎藤氏は、土岐頼芸・斎藤道三方に寝返ります。

頼芸軍が優勢となっていきます。

兵力を失った土岐頼純は土岐頼芸に和睦を申し入れます。

 

この間に斎藤の跡継ぎがいなくなったため、道三は斎藤家をつぎ、「斎藤新九郎利政」と名のるようになりました。

 

元々斎藤家は名門であったため、斎藤道三は名門家の一員となりました。

 

しかし、もともと親子2代で成り上がってきた道三を周囲は認めようとしません。

1541年、道三は頼芸の弟である土岐頼満を毒殺します。

 

そのことで怒った頼芸と道三は対立関係となり、道三は頼芸の居城である大桑城を攻撃します。

そして頼芸とその息子である土岐二郎を、尾張の国(今の愛知県西部地方)へと追放しました。

 

道三は自らの主君を次々と追い出していったことから、他の大名たちは「美濃のマムシ」または「戦国下剋上」と言うようになっていました。

 

そして道三はとうとう上り詰めて、美濃の国の大名になったのです。

 

最後は実の息子に討たれた悲しい結末

1554年に、斎藤道三は出家して「斎藤道山」と名乗るようになり、長男である義龍に家督を譲ります。

しかし義龍は、道三が自分の2人の弟たちばかりを溺愛するので、どちらかを跡継ぎにするのではないかと疑い始めます。

 

このことをきっかけに父子の戦いが始まり、1556年に斎藤義龍と斎藤道三は激突します。

斎藤義龍は17500、斎藤道三は2500の兵で挑みましたが、斎藤道三は討ち取られ、なくなりました。

 

くまのこ
くまのこ

親子の争いとなった、これが長良川の戦いです。

斎藤道三のたくましさは今でも語り継がれています。

 

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本木雅弘プロフィールと出演作品

生年月日 1965年12月21日

血液型  A型

出生地  埼玉県

本木雅弘さんは1981年、TBSドラマ「2年B組仙八先生」でデビュー。

シブがき隊のメンバーとしてトップアイドルとなります。

1988年に解散後は俳優活動を始め、現在に至るまで数多くの作品に出演しています。

 

本木雅弘出演作品

ドラマ「ブラックジャック」シリーズ、「運命の人」

映画「シコふんじゃった。」、「おくりびと」、「日本のいちばん長い日」

「天空の蜂」

NHK「坂の上の雲」、「聖徳太子」、大河ドラマ「徳川慶喜」

 

大河ドラマでは斎藤道三の多面性を演じる

本木さんは、道三を演じることが決まった後、岐阜県に行き、岐阜城や道三塚、斎藤家の菩提寺を訪れたそうです。

かつて道三がいた場所に立ち、道三と向き合い自分の演技に取り入れていったそうです。

 

斎藤道三ゆかりの地

本木雅弘さんも訪れた斎藤道三ゆかりの地をご紹介します。

 

常在寺

常在寺は斎藤道三と、斎藤道三の親子二人が美濃を統一する時に、拠点とする場所でした。

相談などに立ち寄ったり、斎藤義龍を小さい頃に預けたりした大切な場所です。

住所 岐阜県梶川町9

拝観料 大人 150円  小人 100円

 

 

 

道三塚

道三塚は、長良川の戦い負け討ち取られた斎藤道三をまつっている場所です。

元々は現在の400mほど先の崇福寺に遺体がありましたが、移動をして現在の場所に移されました。

住所 岐阜県岐阜市長良福光2494

 

 

 

岐阜城

道三が居城とした難攻不落の絶景の城。道三の頃は稲葉山城と呼ばれていました。

岐阜城についてはこちらでくわしく記事にしています。

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