佐々木蔵之介(麒麟がくる豊臣秀吉役)のプロフィールと経歴紹介

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麒麟がくるに佐々木蔵之介さんが豊臣秀吉役で登場します。

豊臣秀吉と言えば初めて天下をとった人物です。

今回は大河ドラマ麒麟がくるで豊臣秀吉役をやる佐々木蔵之介さんの

プロフィールと、豊臣秀吉の生涯を紹介します。

 

歴史好きになるきっかけや大河ドラマ麒麟がくるを見る、

参考にしてみてください。

 

なお今回紹介する豊臣秀吉は麒麟がくるでの明智光秀が死ぬまでを紹介します。

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豊臣秀吉の生涯とは

秀吉の生い立ち

豊臣秀吉は天文年(1537年)に父・弥右衛門と母なかの子として、

尾張中村(現在の愛知県名古屋市中村区)にて誕生します。

幼名を日吉丸といいました。

 

秀吉は幼い子ろに父・弥右衛門が戦で大けがをしてなくなってしまったので、

秀吉は寺へ奉公に出されます。

ですが秀吉は、家に返されてしまい、しばらくすると旅に行き、武士になることを決め、

父が残した金を持ち旅立ちました。

秀吉は駿河に向けて旅をつづけます。

 

農民から出世する

途中で松下加兵衛(今川義元〈片岡愛之助〉の家臣の家臣)の家臣になりますが、

他の家臣から恨まれて、追い出されてしまい尾張へもどります。

 

尾張へ戻ると自分の主君を探します。

織田信長(染谷将太)という名を聞き、秀吉は信長に会いに行きます。

 

信長に会うと早速秀吉に自分の草履当番として働かせました。

秀吉は冬の日に、信長と出かけるときに草履を懐に温めていると、

信長に喜ばれ気に入られたというエピソードが残っています。

 

秀吉は信長の元でメキメキ成長していきます。

秀吉の初陣・桶狭間の戦いの前に信長に秀吉は、敵である今川義元の本陣を

探るように言われ家臣たちに探らせます。

 

桶狭間の戦いはこちらの記事で紹介しています。↓

桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元)信長の奇襲はほんとうだったの?
今回は、麒麟がくる主人公明智光秀の主君である織田信長の若き日の戦い桶狭間の戦いを記事にしました。 桶狭間の戦いは今川家と織田家の戦いですが、信長の父の織田信秀の頃から敵対していた義元を信長が討ち取るのです。 麒麟がくるでは桶狭間の戦いがどのように描かれるのか楽しみです。

 

秀吉は信長とともに義元の本陣があるという桶狭間山に行き、

信長の父・信秀からの敵今川義元(片岡愛之助)元を討ち取ることに成功します。

 

これらの活躍で、秀吉は木下藤吉郎秀吉と名乗り、

信長の家臣・浅野長勝の養女おねと結婚しました。

 

今川義元(片岡愛之助)を倒した信長は、今川家を独立した

岡崎城城主・松平元康(竹千代〈岩田琉聖〉・徳川家康・松平元信〈池田優斗〉)と、      同盟を結びます。

 

その頃織田家の同盟していた斎藤義龍(伊藤英明)は元康との同盟を不満に思い、

信長を裏切ります。

 

そこで、秀吉は信長から墨俣に城を築くように言われ、墨俣に城を築城します。

 

これに気づいた斎藤軍は、一斉攻撃を仕掛けますが、秀吉は斎藤軍を鎮圧します。

墨俣に一夜で城を築いたことから、墨俣一夜城ともいわれます。

 

秀吉の出世

金ヶ崎の戦いで朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)と戦っていたところ、

同盟者である浅井長政が信長を裏切ります。

 

背後を突かれる恐れができた織田軍は、やむを得なく撤退します。

この時に秀吉が殿(しんがり・撤退するために使う部隊)を務めることになりました。

 

金ヶ崎城に敵軍朝倉・浅井連合軍をおびき寄せ撤退しますが、敵に追い付かれそうになります。

この時援軍に着た武将が明智光秀(長谷川博己)です。

 

信長は次に姉川の戦いで、朝倉家・浅井家に大勝利をします。

朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)は自害して秀吉が三姉妹と、

お市の方を連れ戻し、浅井長政も自害しました。

 

秀吉は三木城・鳥取城を兵糧攻め(兵糧をなくならせて降伏させた)で落とします。

備中高松城を水攻めで攻めている時、明智方からの書状が毛利に送られました。

 

秀吉は運よくその書状を持っていた者をとらえ光秀(長谷川博己)が主君信長を、

裏切り本能寺で信長を討ったということを知ります。

 

本能寺の変はこちらの記事で紹介しています。↓

本能寺の変で見つからなかった信長の首。実は静岡県にある?!
今回は、信長と信忠が光秀によって自害した本能寺について記事をまとめました。 本能寺は、もともと名前が「本応寺」という名前でした。 戦国時代になると、将軍・足利義輝の配下となったり信長のはいかになっ配下になっていました。 最後本能寺は、光秀によって全焼します。

 

秀吉は光秀(長谷川博己)を討つため城を攻めるのをやめ、

中国地方から京都と大阪の境目にある山崎へと向かいます。

 

秀吉はわずか7日で山崎に到着して山崎に本陣を構えます。

このすばやく移動したことを中国大返しというようになりました。

 

明智光秀はこの山崎の戦いで秀吉に負け坂本城に落ち延びようとしますが、

その途中農民に襲われてなくなります。

 

山崎の戦はこちらの記事で紹介しています。↓

山崎の戦いで光秀の首を持っていたのは溝尾茂朝?
今回は、麒麟がくる大河ドラマ主人公明智光秀が最後に戦った山崎の戦いについて記事をまとました。 山崎の戦は、京都府と大阪府の境目で戦います。 秀吉の軍勢は、4万光秀の軍勢は1万5千ほどです。 勝ったのは、秀吉で光秀は最後の農民に刺され亡くなります。
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佐々木蔵之介プロフィール

プロフィール

出身地 京都府京都府上京区

血液型 O型

生年月日 1968年2月4日

 

佐々木蔵之介さんは京都府の酒屋の次男として生まれます。

 

佐々木蔵之介さんは芸能人になる前、

バイオテクノロジーや酒米などの研究をしていました。

 

佐々木蔵之介さんは関西を中心として活動してテレビドラマや、

映画などに出演して活動範囲を広げます。

 

2000年にNHK連続テレビ小説「オードリー」で脚光をあび、

以降話題作に出演することとなります。

 

2006年では映画「間宮兄弟」で初主演を果たし、

2008年のドラマ「ギラギラ」にてゴールデン幕での、

連続ドラマ初主演などの有名作品にて主演を果たします。

 

2014年では四代目市川猿之助主演の舞台、

「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)空ヲ刻ム者-若き仏師の物語」で

歌舞伎デビューしました。

 

出演作品

  • 大河ドラマ  風林火山

風林火山

風林火山では主人公山本勘助(中野聖陽)さんの主君

武田信玄の家臣真田幸隆を演じました。

 

幸隆は日本一の兵(つわもの)と言われる真田幸村の、

叔父です。

 

幸村の父は昌幸ですが幸隆はその父となります。

 

  • 映画     嘘八百

 

映画『嘘八百』予告編
右が佐々木蔵之介さん 左がもう一人の主演中井貴一さん

 

佐々木蔵之介さんは嘘八百で主演を果たし(ダブル主演)

野田佐輪役を果たします。

 

嘘八百では蔵之介さん以外に木下ほうかさんやもう一人の主演、

中井貴一さんが出演しました。

 

受賞歴

  • 日本アカデミー賞
  • 読売演劇大賞
  • 菊田一夫演劇賞
  • 紀伊国屋演劇賞

 

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