織田信長が室町幕府を滅亡させた槇島城の戦いとは?

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槇島城の戦いは1573年織田信長が足利義昭がこもる槇島城を攻撃した戦いです。

これにより、室町幕府最後の将軍・足利義昭が負け、室町幕府が滅びます。

 

今回は槇島城の戦いとはなに?という方に、槇島城の戦いを分かりやすく説明します。

歴史好きになるきっかけや、「麒麟がくる」を見る参考にしてみてください。

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槇島城の戦いとは

槇島城の戦い

槇島城は織田信長と足利幕府15代目将軍足利義昭の戦いです。

織田信長

足利義昭

 

 

足利義昭は室町幕府最後の将軍です。

義昭は二条城の周囲に堀を作り始めて信長と戦う

準備をしていました。

(堀は敵を落とし込む大きい落とし穴のようなもの)

 

そのころは伏見城で三淵藤英らの幕臣たちが戦いの準備をしていました。

これは、幕臣たちが信長と戦うことを予想していたからです。

信長は義昭に和睦をするように命じますが、義昭はこれを拒否します。

 

これに怒った信長は家臣柴田勝家明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼隆

の四将を京に攻め込ませました。ここでついに足利義昭が松永久秀や三好

三人衆らと手を組んで動き出します。

 

家臣の裏切り

しかし、信長の調略を受けた荒木村重・細川藤孝が信長を出迎え義昭を裏切りました。

(調略は、相手に内通する、政治工作をすること)

信長の軍は16000の兵に比べて義昭は8000の兵。

 

義昭方は圧倒的に不利でした。

そして、信長は上京の焼き討ちを開始しました。

(現在の京都府京都市上京区)

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織田軍、槇島城に突撃

足利義昭、一時和睦する。

1573年、4月に正新町天皇から和睦をすること命じられると信長と義昭は和睦をしました。

7月に義昭は和睦を破棄、二条城に三淵藤英らの幕臣を入れて守らせます。

 

信長はまず柴田勝家に二条城を攻めさせます。

ですが二条城を守っていた義昭の幕臣たちは二条城から逃げてしまい、

二条城を守っていた三淵藤英は開城してあっさり二条城は落城しました。

 

槇島城の戦い!!

信長は次に義昭がいる槇島城を攻めます。

 

織田軍は槇島城を包囲して義昭は長男である足利義尋(あしかがきじん)を

人質として出して降伏しました。

義昭が降伏したことにより槇島城の戦いは終わり、室町幕府は滅亡しました。

 

その後義昭は信長に追放されましたが室町幕府を再興させようとしていました。

義昭は信長の死後豊臣秀吉に従い京の国の10000万石の大名となりました。

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