大河ドラマ麒麟がくるで新たなキャストに本郷奏多さんが発表
されました。
近衛前久(このえ・さきひさ)役です。
今回は、本郷奏多さんのプロフィールや経歴と、近衛前久がどんな人物だったかを紹介します。
麒麟がくるを見るきかっけなるといいです。
近衛前久てどんな人
近衛前久の生い立ち
近衛前久(このえ・さきひさ)は、京の国(現在の京都府の一部)で1536年に生まれました。
前久の父・近衛稙家は、太政大臣(だじょうだいじん)という
朝廷の最高職の官位についていました。
前久は1540年に元服して、時の将軍足利義晴(あしかがよしはる)から
偏諱(名前を一文字あたえること)を受けて
近衛晴嗣(このえ・はるつぐ)と名乗りました。
有名な関白に!
1554年に、前久は関白左大臣(かんぱくさだいじん)にまでなります。
1560年に関白でありながら、越後に向かい、上杉謙信(うえすぎけんしん)の
関東平定(かんとうへいてい)を助けるためにつくします。
それは公家らしからぬ行動力です。
この頃に、近衛前久と名乗っています。
1560年に、永禄の変で足利義輝(向井理)を殺害した、
三好三人衆(みよしさんにんしゅう)は、
将軍殺害の罪に問われる事を恐れて関白の前久を頼ります。
永禄の変はこちらの記事で紹介しています↓
前久は、この三人衆が次の将軍に推す足利義栄を将軍にさせました。
しかし、1568年に織田信長(染谷将太)が、
足利義昭(滝藤賢一)と上洛を果たします。
義昭は、前久が兄の義輝の死に関係しているのではないかと考えていました。
また、先関白の二条晴良も、前久をうたがっていました。
関白を辞めさせられた後の近衛前久
ついに、前久は義輝を殺した三好三人衆の味方に付くなどの行動から、
将軍から関白を解任させられてしまいます。
その後は三好三人衆の助けを受けて「信長包囲網」に参加しました。
1575年に前久は、信長から帰洛を許され、前久は信長と親交を深めていきます。
特に鷹狩りという共通の趣味を通して、前久と信長は互いの成果を
自慢しあったといわれています。
1582年に本能寺の変により信長が亡くなると、失意の前久は
落飾(高貴な人が出家すること)して、龍山と号しました。
本能寺の変はこちらの記事で紹介しています↓
本能寺の変後、前久が頼ったのは徳川家康(風間俊介)です。
そこで前久は関ケ原の合戦で西軍についていた島津氏と内通して、
東軍に細かな情報を与えて活躍しました。
関ケ原の合戦後の前久は家康にかばってもらいながら、
東福寺で過ごすことになります。
本郷奏多さんのプロフィールや経歴
本郷奏多ちゃんの生まれ持っての気品のある顔だちが公家衣装とめちゃくちゃマッチしていてもう心臓バクバクしちゃう pic.twitter.com/Ysmbs822nX
— suiren (@iz6tai) February 19, 2020
プロフィールと経歴
生年月日 1990年 11月5日
出身地 宮城県 仙台市
血液型 o型
本郷奏多さんは、幼稚園の頃から子役モデルとして活躍しました。
2002年の映画「リターナー」において俳優デビューし、
2005年映画「HINOKIO」で14歳にして初主演を果たします。
この映画では、14歳ながら、演技力の高さに注目されました。
2019年は映画「キングダム」の実写映画版に出演します。
また、同じ2019年に佐野勇斗さんとW主演をつとめた又吉直樹さん原作
「凛-りん-」でも演技力が注目されました。
本郷奏多さんは、かなたという名前は本名で、ご両親が奏多さんのお兄さんが
生まれたときに考えていた名前が「はるか」だったので、
弟に「かなた」とつけたということです。
クールな雰囲気や、高い演技力で多くの人から支持されている本郷奏多さんが
麒麟がくるで見られるのは、楽しみですね!
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