金井浩人(麒麟がくる浅井長政役)のプロフィールと経歴紹介!

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今年の大河ドラマ「麒麟がくる」に豪華ゲストが発表されました。

その中に浅井長政役を演じる金井浩人さんが発表されました。

今回は浅井長政役として麒麟がくるに出演する金井浩人さんの、

プロフィールと経歴を紹介します。

歴史好きになるきっかけや麒麟がくるを見る参考にしてみてください。

 

 

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浅井長政とは

天文14年1545年浅井久政の長男として、

近江の名門・六角家の観音寺城城下で、

生まれます。

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幼名は猿夜叉丸。

浅井家はもともと成り上がり・いわば下剋上をした家柄で、

近江守護京極家を追い出したものです。

 

ですがそれを行ったのが父・久政の父である、

浅井亮政(すけまさ)でした。

その息子である久政が当主を継ぐと、

亮政の時代はなんなり倒せた六角氏にあっさり敗れてしまいます。

 

その末に猿夜叉丸のち浅井長政の母は六角の、

人質となってしまうのです。

それは猿夜叉丸が9歳のころです。

 

猿夜叉丸は先代の亮政のようになろうとしたのか、

文学に今までよりも励んでいったといわれます。

また浅井家の領土の庶民と関わっていったとされます。

 

長政が15歳の時元服するために観音寺城に来るように六角から言われます。

長政は六角家の観音寺城に行き当主の六角義堅から一字を与えられ、

堅政と名乗り重臣の娘をめとるように言われ、

しかも母は半年も浅井家に戻すといわれます。

 

ですが堅政はめとらせるように言われた娘を六角に戻して、

六角義堅を裏切ってしまうのです。

ですが歴史を動かす重大な事件が起こります。

 

桶狭間の戦いです。

今川義元(片岡愛之助)が織田信長(染谷将太)に討たれてしまうのです。

そのことを考えているうちに六角が進軍してきます。

 

桶狭間の戦いはこちら⇩

桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元)信長の奇襲はほんとうだったの?
今回は、麒麟がくる主人公明智光秀の主君である織田信長の若き日の戦い桶狭間の戦いを記事にしました。 桶狭間の戦いは今川家と織田家の戦いですが、信長の父の織田信秀の頃から敵対していた義元を信長が討ち取るのです。 麒麟がくるでは桶狭間の戦いがどのように描かれるのか楽しみです。

 

家督を継ぎ信長と・・・・

ですが堅政は大軍を引き連れていたため油断していた、

六角義賢の本陣を奇襲します。

惜しくも義賢は逃げてしまいますが、

堅政は大勝を治め浅井家の家督を継ぎます。

 

そんな堅政に好機が訪れます。

織田信長(染谷将太)から同盟を申し込まれたのです。

堅政はそれを受け入れて信長の妹お市の方が輿入れされてきます。

 

堅政は織田信長(染谷将太)の一字をもらい長政と名乗ります。

長政は織田信長のためにともに将軍になろうとする足利義昭(滝藤賢一)を連れて、

上洛します。

 

ですがその時には長政はいませんでした。

それは信長から織田に対抗しようとする三好三人衆を討伐するように言われたのです。

ついに信長のなそうとした義昭を将軍とします。

 

長政は信長のために働くのですが、

それは信長の功績として義昭から褒美をもらい長政には何も特がなく、

家臣たちは信長に対して不満を持っていました。

 

そんな時に大軍勢が浅井領へと向かっていきます。

それは木瓜紋、織田信長(染谷将太)です。

信長は浅井軍の後ろに位置する朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)を、

攻めようとしていたのです。

 

それは信長の重臣たちの柴田勝家(安藤政信)や仲間として加わった、

松永久秀(吉田鋼太郎)でした。

 

長政からは朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)は譜代からの

同盟者であると伝えてあったのです。

これは長政からしたら信長が裏切ったのと同じでした。

そこの足利幕府15代将軍足利義昭(滝藤賢一)から文が届きます。

 

その内容は自分(義昭)と対立していた信長を倒そうとしたことです。

それは長政にとって同盟者を守るか守らないかの判断でした。

長政はお市を娶り信長と義兄弟の関係でしたが裏切るのです。

 

ここで信長に陣中見舞いとして小豆の袋が渡されます。

そこで信長はこう考えました。

この小豆の袋は両端が布で結ばれていました。

なぜ両端は縫っていないのか?

もしかしたら片端は朝倉。

もう片端は浅井。

もしかしたら長政が裏切り挟み撃ち。

 

こんなことだったと思います。

信長はそれに気づき京都から美濃へと逃走していきます。

それを追うかのように浅井軍が京都の信長のいた館に入ります。

 

ですが逃がしてしまいます。

このとき信長を守るために豊臣秀吉(佐々木蔵之介)や明智光秀(長谷川博己)、

徳川家康(風間俊介)などの武将が殿を務めます。

 

岐阜に戻って体制を整えた信長は浅井・朝倉討伐に向かいます。

それは1万の大軍でした。

 

長政は朝倉に援軍を求めていたのですが、

朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)は援軍を送らなかったのでした。

ですが遅れて1万の軍勢が送られました。

 

織田軍2万5千・浅井軍1万3千の対決でした。

長政は信長が大軍であるため早く死者を出さないために、

信長本陣に突撃します。

 

ですが信長はそれを覚悟して前に13段もの、

家臣たちを布陣させたのです。

それにより長政はあと一歩のところで撤退します。

 

それは織田軍の援軍として駆け付けた、

徳川家康(風間俊介)軍に側面をつけれたのでした。

ですが長政の家臣の中で織田信長を討ちとろうとする者がいました。

 

それが譜代の臣の遠藤直経でした。

直経は織田軍の者だとだまして信長を討ち取ろうとしますが、

バレてしまい逆に打ち取られてしまいます。

 

その後長政は重臣や譜代の臣をなくしてしまい、

最後の戦いでは妻・お市の方とその娘を逃がして自害しました。

ですが長政は現在も庶民から親しまれています。

 

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金井浩人さんのプロフィール

プロフィール

出身地  新潟県

血液型  A型

生年月日 1992年5月12日

 

金井浩人さんは役者になりたいということで、

大学受験を受けずに上京します。

出身高校は明らかになっていません。

 

その後、金井浩人さんは吉本興業に入ります。

そして今年映画俳優として本格デビューをしました。

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