安城城の戦いは西三河(後に徳川家康が治める領地)の安城城で1540年に
尾張の大名・織田信秀と三河の国を納めて今川義元とこのころに同盟を結んでいた
松平広忠(徳川家康のお父さん)が争った戦いです。
戦いは1549年まで9年に渡って3回または6回行われました。
今回は、安祥城の戦いはどんな戦いだったの?勝利したのは誰?と思った方に分かりやすく記事をまとめました。
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安城合戦について
天文9年(1540年)松平広忠(徳川家康のお父さん)が、
尾張の大名・織田信秀(織田信長のお父さん)の領地・尾張の国鳴海城(なるみじょう)
を攻撃しました。
しかし敗北し、松平広忠軍は三河の国に撤退します。
#麒麟がくる をここまで観てきて、気になる点が幾つか…
まず、7話終了時点で時期は天文十七年の冬(大柿城落城後だから)。
帰蝶の婚姻が天文十八年2月24日(おそらく『美濃国諸旧記』説採用)。…いつ松平広忠出すの?(天文十八年3月死亡)
死ぬシーンだけ?エリカショックで登場シーン削られたか? pic.twitter.com/cMQKse6haE— 谷津 珠葉(李厳命) (@Rigenmei) March 2, 2020
自分の領地に攻め込んできたことを怒った織田信秀は2000の大軍を率いて、
安祥城を攻めることを決めます。
まず最初に織田信秀は6月に居城・古渡城を出発しました。
信秀軍は刈谷城の水野忠政と合流します。
水野忠政と信秀の軍が合流すると3000という兵を率いていたので、
松平広忠の忍者には見つかってしまいます。
この知らせを受けた広忠は、6月6日松平軍1000の兵を連れて安祥城に入城しました。
同じ日に織田・水野連合軍は刈谷城を出発して安祥城に攻撃を仕掛けます。
松平広忠軍は奮戦何とか織田・水野の連合軍を撤退させます。
何とか撤退させたものの安城城の城代になっていた松平長家、
さらに武士50人が討ち死にしてしまいます。
安城城落城説
1540年の第一安祥城の戦いで松平広忠軍は織田軍の半分1000というわずかな兵でした。
自分の兵の3倍という大軍に勝てないと思うよ。
さらに織田信秀は何度も攻めてきます。
最後の1549年には織田信秀の長男であった織田信広が城主となっていました。
この時には今川氏の助けを借りて、安祥城を取り戻すことができました。
安祥城は安城城とも表します。
今川軍の軍師・太原雪斎は、安祥城の城主の織田信広を討ち取らないで
捕えます。
そして、織田軍に人質として捕らえられている竹千代と人質交換させるのです。
太原雪斎ってすごい人だね!
この戦いがあり、今川軍へ竹千代が戻ることができました。
本来竹千代は今川軍へ人質に行くはずだったのよね。
今回の記事のまとめ
安祥城の戦いは今川義元がバックについた松平軍と織田軍が戦った。
松平軍1000と織田軍3000が戦い安祥城の城代・松平長家が討ち死にする。
この戦いで織田信広を捕らえたことにより人質交換が行われ、竹千代は
本来の今川軍の人質となった。
今回の記事はどうだったでしょうか。
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