大河ドラマ・麒麟がくるが始まっています。
前半部分の重要なところでは、斎藤道三・義龍親子の争いが重要なシーンとなります。
モッくん道三といえば、義理の息子の土岐頼純をお茶で毒殺、主君・土岐頼芸に操り人形と
言い切り大切な鷹を皆殺しして追い出してしまうとどこをとっても恐ろしい人物でした。
しかし最近は道三の人間的な部分、国のために悪者になり豊かな美濃を築きたい思いが
見えてきています。
対して義龍はダークサイドに落ちつつありますね。
この2人の対決した長良川の戦いは、どのように描かれるのでしょうか?
今回は、麒麟がくるのこれからのストーリーが楽しみな方へ、
歴史では、斎藤親子のこれからはどうなったかをもとにまとめてみました。
麒麟がくるを楽しむ参考にしてみてください。
麒麟がくるの美濃編の見どころは、斎藤親子の争い
麒麟がくるの斎藤親子の関係おさらい
麒麟がくるの2話では美濃の国に織田信秀が攻め入ってきます。
道三は相手に対してすきをみせることで、織田軍を壊滅的なダメージを与えます。
これが1547年の加納口(かのうぐち)の戦いです。
また道三は、守護で娘の帰蝶の夫であった土岐頼純を毒殺してしまいます。
奪還による奪還で最終的に和解して次の守護の座を約束し頼純は逃亡先から戻ることが
できたのです。
その時、帰蝶と結婚します。
道三はもとは頼芸派でしたが、帰蝶を政略結婚させて頼純の義父となりどちらにも顔がきいたんですね。
とても複雑なのですが、こちらにもまとめてあります。
![](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/11/youkai_kirin-1-160x90.png)
土岐頼芸はもともと守護として美濃の国の大名でした。
道三の側室・深芳野は、土岐頼芸の愛人という立場でした。
しかし、道三が力を持つにつれて、深芳野は道三の側室となります。
その後息子の義龍が生まれるのですが、この出生が疑問視されることもあり、
義龍は道三の子ではなく、頼芸の子ではないか?とも言われています。
麒麟がくるでは、義龍ははじめから自分の出生には疑問をもっていました。
それを知っていた頼芸は、道三の失脚を狙って、義龍を利用しようと考えるのです。
義龍のこころを揺さぶるのは、まさか本当の父?
もう一度、守護の座についてもらうためです。
頼芸はかつて道三と一緒に兄の頼武を追い出して守護になりましたが、
結局道三が実権を握って、頼芸は同じように追い出され、タカの絵を
描くことに没頭しています。
【土岐頼芸】 美濃の守護大名。重臣の斎藤道三に追放され織田信秀を頼った。道三の嫡男・義龍の母・深芳野は、元々頼芸の愛妾であり、義龍は頼芸の落胤との説がある。文化人でもあり、特に鷹の絵は、「土岐の鷹」として珍重された。『#麒麟がくる』#尾美としのり 鷹図 pic.twitter.com/ffqCbjuc8f
— 戦国時代の個性的な人物を偏見で紹介(現在は『麒麟がくる』が中心) (@zh2wltGC3jMNOdf) April 11, 2020
頼芸からすると、
「道三怖い、怖い。 会いたくない、顔も見たくないよぉ~。」
というのが本心。
しかし、道三は下剋上を繰り返し成り上がった人物。
道三のやり方に反発する人も多いのです。
道三としては、守護の頼芸をおいて政治を行い、頼芸を操り自分の思いのままに
美濃の国を治める・・・と考えていたのです。
![くまのこ](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/animal_kuma.png)
モッくん道三の怪演が話題になりました!
ここで義龍は頼芸に呼ばれ、本当の親子のように思っているぞ。と言われ、
激しく動揺します。
土岐頼芸は義龍を使って斎藤親子を不仲にさせて、義龍をうまく利用してやろうと
思ったのでした。
義龍と道三の親子関係ははじめから壊れていた?
義龍は小さなころから、父にかわいがられていないことを感じていました。
ドラマの中でも道三とギクシャクした関係です。
嫡男(将来家督を継ぐ子ども)なのに、道三には他の家臣と同じように
口を聞くことができません。
【斎藤義龍】 斎藤道三の子。廃嫡される疑念から道三を討った。義龍の母・深芳野は元々、道三が追い出した前主君・土岐頼芸の愛妾であった。義龍は実は頼芸の子であったという説がある。存命中は信長の美濃侵攻を許さなかった。2.『#麒麟がくる』#伊藤英明 #戦国 pic.twitter.com/O3imI4V9Rq
— 戦国時代の個性的な人物を偏見で紹介(現在は『麒麟がくる』が中心) (@zh2wltGC3jMNOdf) April 11, 2020
自分は、嫌われているんだ・・・
そんな雰囲気がただよっています。
十兵衛も「嫡男なんだからさー、もっとはっきりいえよぅ。」
とばかりに義龍に言いますが、自分が側室の子ということを気にしています。
後に登場する弟たちや帰蝶は、道三と正室・小見の方との子どもです。
やはり、正室と側室との子に差があったのでしょう。
しかし、義龍は側室の子という以上に道三には気を使っているようです。
なぜ父は自分を嫌うのだろう・・?
と思いながら成長します。
ふてくされそうですが、義龍は一生懸命道三に認められようと努力します。
![くまぞう](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/baseball_animal_kuma.png)
義龍って健気な人だね。
しかし、道三は自分を認めない。
周りでは深芳野が道三と結婚した時にはすでにお腹の中に義龍がいたとうわさも聞きます。
頼芸の言葉で、心に常にあった疑問が確信にかわっていったのでしょうか?
義龍は頼芸の子としている記録もありますが、麒麟がくるのドラマの中では、
深芳野がはっきりと義龍の父親は、道三と話していますね。
道三と義龍親子はその後・・・
道三はその後も義龍を受け入れることができず、その後2人の関係は
決定的なものになってしまいます。
1554年道三は家督を譲ったものの、引退はせず実権を握ったままでした。
義龍の弟たちを名家の姓を名乗らせたりして、変わらずかわいがります。
義龍は道三が自分に信頼をよせず、弟たちばかりをかわいがることが許せなかったのでしょう。
弟たちを呼び寄せて、暗殺してしまいます。
![くまぞう](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/baseball_animal_kuma.png)
弟たちは、十兵衛のいとこにあたるんだね。
![くまのこ](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/animal_kuma.png)
そのあたりも光秀と義龍は友人だから複雑よね
その後道三が兵をあげます。そして、道三は義龍に討たれました。
これが長良川の戦いです。
https://historywithkids.com/kassen-nagaragawa/
道三は義龍との戦いの中、織田信秀に美濃の国を譲るという書状を送っています。
![くまのこ](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/animal_kuma.png)
最後まで義龍を信頼していなかったのなら、何だか悲しいですね。
一説によると、義龍は兵をあげたものの、道三を討つことはせず、捕まえて
幽閉しようとしたそうです。
本当は父への愛情があり、だからこそ認めてもらいたかったのでしょう。
義龍は父を討ってからわずか5年後に病気でなくなりましたが、
生きている間は織田勢に攻め落とされることなく、美濃の国を守り通しました。
![くまぞう](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/baseball_animal_kuma.png)
まっすぐな性格で素晴らしい武将だったのに、父・道三の存在が大きかったね。
ドラマでは、心のどこかに孤独を抱える義龍を伊藤英明さんが演じていくでしょう。
![くまのこ](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/10/animal_kuma.png)
父道三のモッくんとのシーンも楽しみです。
これからも麒麟がくるを見逃せないですね!
![](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2020/01/present_kuma-160x90.png)
斎藤道三の居城は稲葉山城です。現在の岐阜城で、大河ドラマ館も
開催中です。
![](https://historywithkids.com/wp-content/uploads/2019/11/DSC_1939-160x90.jpg)
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