2021年大河ドラマ「麒麟がくる」で坂東玉三郎さんが、
正親町天皇(おうぎまちてんのう)役として出演することが
発表されました。
今回は正親町天皇役として出演する坂東玉三郎さんの、
プロフィールと経歴を紹介します。
歴史好きになるきっかけや、麒麟がくるを見る参考にしてみてください。
正親町天皇とは
生い立ち
正親町天皇は1517年に後奈良天皇の第一皇子として生まれます。
正親町天皇は1557年の40歳の時に父が亡くなったため、
天皇となります。
ですがその当時は公家や天皇と言った人たちは権力が衰えていた為、
正親町天皇は2年間立っても即位の礼を上げることができませんでした。
ですが2年後に中国地方の大名・毛利元就に協力で即位の礼を行います。
それは1560年の頃のことでした。
正親町天皇は1565年にキリスト教宣教師の京都追放令を出します。
ですが朝廷の財産もなくなり天皇はもはや権力不足となります。
信長との関係
美濃を取った織田信長(染谷将太)は、1568年、
京都を進行して京都を鎮圧します。
信長は正親町天皇を保護するという大義名分を手に入れたためです。
京都制圧をなした信長は朝廷の財産を復活させます。
これを機に信長は反織田包囲網に加わる浅井長政、
朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)、足利義昭(滝藤賢一)、
本願寺顕如などと戦い、講和を申し付けます。
これは全部正親町天皇によるものです。
(本願寺顕如に対しては本願寺から講和を申し込んだとも言われます。)
その後信長に正親町天皇は右大臣の座を渡します。
イエズス会の宣教師は日本には2人の権力者がいると言っています
後のことになると豊臣政権になったとしてもそれは変わりませんでした。
信長は正親天皇にたびたび譲位(天皇の座を次の天皇に譲ること)を
要求されます。
しかし正親天皇はこれを拒み続けました。
そのことが後の本能寺の変の原因として、朝廷関与説が一説として
浮上することになります。
文禄の役
豊臣秀吉(佐々木蔵之介)は黄金などを送り正親町天皇を後ろ盾とします。
ですが秀吉は信長の夢を目指して中国へと攻めかかります。
そして最初は勝ち戦でしたが明の軍に圧倒されて大敗を決します。
ですが天皇家では権力が増していたのです。
それは秀吉が天皇を一番頼りにしていたからです。
結果的に権力が増した天皇家ですが、正親町天皇は、
1593年に亡くなります。
坂東玉三郎さんのプロフィール
プロフィール
出身地 東京都
生年月日 1950年4月25日
坂東玉三郎さんは1950年に生まれ、1957年に坂東喜の字を名乗って、
初舞台を果たします。
1964年に5代目坂東玉三郎を名乗ります。
1969年作の「椿説弓張月」で白縫姫役を果たします。
1975年には「桜姫東紋章」で桜姫役を演じます。
1997年の「夕鶴」で主役を演じました。
2007年には自ら監督となり歌舞伎を演じます。
歌舞伎の女形を中心に演劇、舞台の分野が認められ、
2011年に京都賞を受賞します。
歌舞伎界屈指の女形として有名な坂東玉三郎さんですが、
もともとは梨園の出ではなく、小さい頃に患った小児麻痺の
後遺症を乗り越えています。
また左利きであることや、女形としては長身であるという点など
多くの苦難を乗り越えた人でもあるのです。
これまで一度もテレビドラマに出演したことはないそうですが、
今回、正親町天皇役としてドラマ初出演となります。
受賞歴
芸術選奨新人賞 第8回ゴールデン・アロー賞演劇賞
モンブラン国際文化賞 第27回「京都賞」思想・芸術部門
紫綬褒章 日本芸術院賞・恩賜賞 世界文化賞
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