平岡円四郎ロス!!凄腕剣士の川村恵十郎とは?平岡円四郎の非業の死!!

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2021年の大河ドラマで渋沢栄一を主人公に栄一がどのように生涯を送ったのかを描いています。

そんな中、15話ではまだ尊王攘夷思想を持っている栄一と喜作は円四郎という人物に仕え、一橋家に仕官するのです。

今回は、円四郎に円四郎の死を一番悔やんだ慶喜のその後そして凄腕剣士の川村恵十郎の生涯を記事にまとめました。

 

くまのこ
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記事には、青天を衝け第16話のネタバレを含む場合があります。

ご注意ください。

くまぞう
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青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~

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栄一に深く関係して円四郎の非業の最後!!

くまぞう
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円四郎の最後についておさらいしてみよう!

円四郎の死!!西郷や慶喜も認めた才能ある武士の最後とは?

平岡円四郎・・円四郎(堤真一)は、もとは幕府の旗本の子供で養子入りして平岡と名乗ります。

当初は、武術や学問に優れていて大きくなると旗本の子として世の中を知るようになります。

 

そして黒船来航以来円四郎は、新しい将軍には一橋慶喜(草彅剛)様をといいます。

そして、やがて諸般の家臣たちを巻き込むようになり円四郎は福井藩藩主・松平春嶽(要潤)の家臣である橋本佐内(小池徹平)や薩摩藩藩主・島津斉彬の家臣・西郷吉之助(博多華丸)と画策して慶喜を将軍に擁立しようとするのです。

 

そんな中、井伊大老・井伊直弼(岸谷五朗)による独裁政治が始まり一橋派への弾圧が始まりました。

薩摩では、吉之助の主君である斉彬が死去していて橋本佐内は捕まえられて処刑されました。

また、円四郎も一橋家家臣からやめることになります。

その数年後に、慶喜のもとに戻ります。

青天を衝けでは、意外と佐内があっさりとなくなるのですが円四郎は悲しむのですはなく生きていつか慶喜様を将軍にたてるといっていましたね!

 

その後、一橋家家老になり慶喜の側近として使えます。

ですが円四郎は、突然死を迎えてしまうのです。

16話で暗殺シーンが描かれましたが、家臣の川村恵十郎に傘をとってもらうときに襲撃されます。

ですが、事前にこの暗殺計画を知っていて慶喜の代わりに暗殺されたとも急に襲ってきたともいわれています。

くまぞう
くまぞう

円四郎は、40代で亡くなったけど最後まで佐内と誓った

通りに慶喜を守ろうとしたんだね!

円四郎の最期のシーンが描かれた16話のあらすじはこちらから。

青天を衝け2021年大河ドラマ16話「恩人暗殺」感想・あらすじ・視聴率
青天を衝け大河ドラマ16話を今回は記事にまとめました。

 

円四郎に深くかかわった人物たち

くまぞう
くまぞう

円四郎に深くかかわった人物ときっかけそして生涯を解説するよ!

 

西郷吉之助

西郷は、円四郎と一橋慶喜を将軍にしようと画策して、主に福井藩士の橋本佐内や吉之助などの多くの諸藩の藩士たちとともに集まり、慶喜を将軍に建てようとしたそうです。

青天を衝けでは、篤太夫(吉沢亮)と話しているときに吉之助が話していましたね。

吉之助は、円四郎の死を聞くと深く悲しみそして慶喜とのちに戦うことになっても、慶喜を捕まえ処刑するようなことをせずに静岡県に移したのではないかと考えます!

 

橋本佐内

橋本佐内もまた慶喜を将軍にたてるために円四郎と吉之助とともに行動していました。

青天を衝けでは、円四郎から「お前さんは、命を狙われている」と言われて佐内は円四郎の才を見込んでいたのか「円四郎さんは生きて必ずや慶喜様を将軍に取り立てていただきたく存ずるゆえこれまでのことを内密に」と言って幕府に役人に捕まえられました。

井伊直弼の安政の大獄と呼ばれる大獄で橋本佐内は捕まえられて斬首されました。

 

一橋慶喜

円四郎は、昔から慶喜の家臣で元は旗本の子供だったので慶喜の父・徳川斉昭(竹中直人)の命令で使えることになりました。

その際を慶喜は見込み円四郎は、大いに活躍しました。

円四郎が暗殺されてからは、黒川喜兵衛と原一之進が一橋家を盛り立てていくように筆頭として活躍しました。

 

渋沢栄一

渋沢栄一は、青天を衝けで円四郎の取り立てにより慶喜が乗馬しているところを走るように命令されて必死に走りその後仕官することが決定します。

栄一の出世そして、円四郎が栄一を取り立てていなかったら栄一は農民として過ごしパリ万博に参加できず清水銀行や帝国ホテルもありませんでした。

こういう風に考えると栄一と円四郎は、ものすごく深い関係にあったのです。

 

実は、円四郎ですら勝てなかった?超凄腕剣士の川村恵十郎とは?

くまぞう
くまぞう

川村恵十郎は、最後どうなったんだろう?

川村恵十郎の生涯をまとめたよ!

1855年に小仏関所番見人として出仕します。

その後、一橋家家臣として平岡円四郎に仕えました。

水戸藩士による平岡円四郎の暗殺計画実行の時に円四郎や共の者たちまで殺害されますが襲ってきた二人の水戸藩士を買えりうちにして闘死させました。

その後も、慶喜に仕えて慶喜が駿河に行ったときに自分も駿河で暮らすようになったとか。

1873年に大蔵省に出仕して、台湾戦争処理として大久保利通が渡清したときにはお供として一緒に随行しました。

そして、日光東照宮の禰宜(ねぎ)を務めました。

 

剣の腕は、ピカ一で、藩士ですら勝てなかったというのです。

 

円四郎が暗殺された慶喜のその後とは?

 

慶喜は、円四郎が暗殺されてから黒川喜兵衛と原一之進に今まで円四郎一人でこなしていた役目を果たさせて、長州兵が京に押し寄せてきたときに幕府軍の対象として長州軍に突撃しました。

そして、長州征伐の兵を率いることにもなり長州藩をたたきました。

 

円四郎がこなしていたことは、一橋家にとっても最も大きなことで二人係でやるほどでした。

将軍となりしばらくしてから大政奉還をして鳥羽伏見で新政府軍と戦うもあきらめて駿河で余生をすごしました。

 

 

今回の記事は、どうだったでしょうか?

青天を衝け円四郎の回想が楽しみですね!!

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