草彅剛(青天を衝け大河ドラマ徳川慶喜役)プロフィールと経歴紹介!

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2021年大河ドラマ青天を衝けに2020年7月10日、豪華キャストが発表されました。

その中に徳川慶喜役として出演する草彅剛さんが出演発表されました。

今回は徳川慶喜役として出演する草彅剛さんの、

プロフィールと経歴を紹介します。

徳川慶喜の生涯も紹介します。

歴史好きになるきっかけや「青天を衝け」を見る参考にしてみてください。

 

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徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜とはどんな人?

幼いころから聡明。長男を抑えて跡取り候補に

天保8年1837年江戸・小石川の水戸藩第9代当主・徳川斉昭(竹中直人)の、

七男として生まれます。幼名は松平七郎麻呂。

 

七郎麻呂は水戸藩主2代目徳川光圀の教えにより、

江戸から水戸へと移り住みます。

そして弘化4年1847年に幕府から一橋徳川家の相続命令を出されるまで、

9年間水戸で学ぶことになります。

 

この間に藩道場の弘道館で勉学や文学に励みます。

その慶喜の働きは幕府や世間から一目置かれるようになり、

父・斉昭から長男の代わりとして活用しようと考えられるほどでした。

 

その後に七郎麻呂は父・斉昭から諱をもらい

松平昭致(あきむね)と名乗ります。

 

一橋徳川家相続

幕府の老中・阿部正弘から「昭致殿を御三家、一橋徳川家に相続してもらいたい」

との文をもらいます。

しかも伝達させたのが江戸幕府12代将軍・徳川家慶からでした。

 

そのため慶喜は1847年に水戸を出て一橋徳川家の養子入りします。

それから将軍・家慶が一橋邸に来ることが多く、

家慶は次期将軍候補としようとするほどでした。

そしてここから慶喜が活躍がはじまります。

 

将軍継嗣問題と安政の大獄

1853年にアメリカ黒船来航の混乱の中、12代将軍家慶がなくなります。

そしてその跡を継いだ徳川家定は病弱で子供はありませんでした。

 

そしてこれにより「将軍継嗣問題」が勃発します。

家定の次の将軍候補に慶喜と、紀州藩主・徳川慶福が対立します。

慶喜を押すのが水戸藩主・徳川斉昭 老中・阿部正弘 薩摩藩主・島津斉彬 一橋派、

徳川慶福をおすのが彦根藩主・井伊直弼そして大奥の南紀派でした。

 

ですが有力であった阿部正弘と島津斉彬が相次いで亡くなります。

これにより一橋派の勢力は完全に衰えてしまいます。

 

しかも安政5年1858年に彦根藩主・井伊直弼が大老に就任し、

慶福側の勢力が一気に増して、結果14代将軍は慶福(家茂)になります。

大老となった直弼は、日米修好通商条約を結びます。

 

斉昭と福井藩主・松平慶永はともに直弼のことを訴えますが、

直弼の安政の大獄で、斉昭は謹慎させられます。

 

将軍後見職となった徳川慶喜

そんな時に薩摩藩を継いだ島津久光が勅命(朝廷からの命令)を盾にして、

慶喜を将軍にしようと江戸に行きます。

しかもこの時に慶福派の有力権力者の井伊直弼が暗殺されます。(桜田門外の変)

 

そしてついに慶喜は将軍後見職となり、幼少期から世話をしてもらった、

松平春嶽を政治総裁職(せいじそうさいしょく)に任命させます。

慶喜と春嶽は共に文久の改革といわれる幕政改革を行い、

京都守護職の設置や参勤交代の緩和を行います。

 

そこでまだ将軍の座を狙う家茂が朝廷と会議をするために230年

ぶりの上洛を果たそうとします。ここで慶喜が先駆けて上洛をします。

 

ですが交渉は失敗に終わり、しかも慶喜は朝廷に対して、

酒宴を開いた際に暴言を吐いてしまうのです。

そして慶喜は将軍後見職を辞任します。

 

それでも慶喜は第1次長州藩征伐などの対象として活躍します。

1886年に第2次長州藩征伐に向かいますが、

薩長同盟が成立して薩摩藩の援軍により大敗を決してしまいます。

 

その1886年の第2次長州藩征伐の際に、大阪城で徳川家茂が死去します。

これにより将軍がいなくなったため一時休戦となります。

 

そしてまたもよ老中などから慶喜が次期将軍にしようと押すものが出てきます。

ですが慶喜は断ってしまいますが12月5日には将軍になります。

この時には米軍に開国する意見を持っていたのでした。

 

そして月日がたち戊辰戦争となります。

慶喜は仕方なく京都に向かい薩摩軍と徹底抗戦しますが、

体制が崩れてきて慶喜はそのまま江戸に帰ってしまいます。

 

明治2年に慶喜はやっと駿府改め静岡に住むようになります。

また静岡の人々から「ケイキ様」といわれ親しまれるようになります。

 

そして大正2年1913年に慶喜はなくなります。

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草彅剛さんのプロフィールと経歴

 

草彅剛プロフィール

出身地  愛媛県

血液型  A型

生年月日 1974年7月9日

 

草彅剛さんは1987年にジャニーズ事務所に入所します。

1988年にSMAPが結成されメンバーに選ばれます。

その後は国民的アイドルとして様々な活動をします。

真面目な性格で好感度

草彅剛の主な俳優活動

1997年に剛さんは主演として連続テレビドラマ「いいひと。」に出演します。

しかも初回視聴率が24.6%を記録することになります。

そしてこれをきっかけに「ドラマアカデミー賞 主演男優賞」を受賞します。

 

主な主演作の映画は、「黄泉がえり」、「日本沈没」

テレビドラマでは、僕シリーズ三部作 「僕の生きる道」「僕と彼女の生きる道」

「僕の歩く道」 「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」

主演作は大ヒットとなり、演技力も高く評価されています。

 

1998年に剛さんの冠番組でユースケ・サンタマリアさんと司会を行うバラエティ番組

「『ぷっ』すま」が放送され、

同年に「DVD&ビデオで~た大賞ベストタレント賞」「men’s CLUBベストトレッター賞」

を受賞します。

 

2017年に香取慎吾さんや稲垣吾郎さんとともに、ジャニーズ事務所を退所します。

その後、「CU LEN」に入所して11月にはYoutubeをはじめ、

この年の登録者数獲得ランキングトップ10で1位を獲得します。

くまのこ
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2020年には、登録者数100万人を突破!すごい!

 

今回紹介した徳川慶喜はどうだったでしょうか?

慶喜は幼少期は多くの人から期待されて将軍になると期待を裏切ろうとはしませんでした。

ですが慶喜は幕府と自分のことしか考えていなかったというのが欠点だった

のが幕府の滅亡を早まらせてしまったのかもしれません。

この記事意外にも大河ドラマの記事があるのでぜひ見てみてください。

 

2021年大河ドラマ青天を衝けのキャスト一覧はこちらから!
https://historywithkids.com/seiten-cast/

青天を衝けの初回から最終話までのあらすじはこちら!
https://historywithkids.com/seiten-story/

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