2021年大河ドラマ青天を衝けに小栗忠順役で武田真治さんが登場することが決まりました!
今回は、武田真治さんのプロフィールと経歴そして小栗忠順の生涯を記事にまとめました。
記事には、青天を衝けのネタバレを含む場合があります。
ご注意ください。
青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~
武田真治のプロフィールと経歴・小栗忠順の生涯まとめ!
小栗忠順の生涯とは?
1827年に忠順は、旗本の小栗忠高の子供として生まれました。
忠順は、幼いころから西洋術に興味を持っていて、西洋の大砲や武器などを家臣に持たせて自らも使えるように訓練をしたそうです。
ほかにも、武術や大砲そして鉄砲などに使いを出して毎日習っていました。
8歳から、小栗家にあった安積艮斎(あさかごんさい)の開いた塾に通うようになりのちにパリ万博に行く栗本鋤雲と知り合いました。
1843年17歳で登城し、文才を認められ若くして役職を与えられます。
1853年に浦賀にマシュー・ペリーが来航すると、異国船の対応をする詰警備役となっていた小栗忠順は、アメリカの開国の要求を受け入れます。
それには関船(せきふね)という戦国時代からの軍用艦しかもっていなかった日本がアメリカと同等の交渉はできませんでした。
この頃から忠順は造船所を作るという発想を持ったといわれています。
1855年に父が死去して忠順は、家督を継ぎました。
1860年に遣米施設目付、そして2か月かけて、アメリカに渡米します。
そこで忠順は、外国人と接する落ち着いた態度から、代表と勘違いされて取材を受けたといわれています。
そこから、大西洋を越えて帰国、幕府からは外国奉行に就任することが許されました。
世界一周して帰国したんだね!
1860年勘定奉行に就任して1863年に製鉄所建設案を幕府に提出し、多くの幕臣からは反対されますが、将軍の徳川家茂は賛成して、建設予定地は横須賀に決定しました。
1865年に横須賀製鉄所の建設を開始し、製鉄所の首長にフランスのレオンス・ヴェルニーに決定して幕府からは批判を受けましたが日本にレオンスが入ったことから経済学や社会そして道徳などの基礎が日本に導入されました。
15代将軍の徳川慶喜(草彅剛)が大政奉還して、幕府の幕臣たちは旧幕臣となっていきました。
そして、これを許せなかった薩摩や長州藩は王政復古の大号令と言って徳川幕府は位や地位をすべて返上して徳川幕府を完全に崩壊させます。
徳川は政治にかかわらずに徳川が所有している土地をすべて返上するように言ってきたのです。
この王政復古の大号令から旧幕臣たちの怒りが爆発します。
徳川慶喜も王政復古の大号令について激怒しました。
旧幕府は、旧幕府軍として戦うものを募集し集まった兵たちにつけられたのが旧幕府軍です。
江戸城で開かれた会議で忠順は、薩摩や長州、そして土佐藩や諸国の大名たちが箱根まで来たところを幕府の持っている戦艦や大砲で艦砲射撃をして新政府軍の全滅を図りました。
ですが、幕府の兵は日に日に弱っていき、小栗は捕まえられて斬首されました。
最後まで幕府のために戦って自分が、幼いころから
学んだ西洋術を生かして相手を全滅しようと図ったんだね!
小栗忠順が初登場したのは青天を衝けの18話から!
武田真治のプロフィールと経歴を紹介!!
武田真治の生年月日
誕生日 1972年12月18日
出身地 日本北海道札幌市北区篠路
血液型 AB型
経歴
高校在学中に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で受賞します。
1990年に放送されたドラマ「仲良し」で俳優デビューを果たします。
1999年の映画「御法度」で沖田総司を演じて話題になりました。
青天を衝け武田真治さんの出演が楽しみですね!!
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