大河ドラマ青天を衝けでは、渋沢栄一が主人公に選ばれ栄一の生涯を描いています。
その栄一は、幕府に使えていてパリ万博の使節団としてパリに行っていました。
その幕府は、危機的状況にあり、ついに崩壊したのです。
今回は、青天を衝け大河ドラマでは人気俳優たちが戦う鳥羽・伏見の戦いを紹介します。
鳥羽伏見の戦いでどんなことがおこったのかしら?
青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~
鳥羽・伏見の戦いとは?青天を衝けで人気俳優の大乱闘!!
鳥羽伏見の戦いは、どんな戦いだったんだろう?
旧幕府軍と新政府軍が戦ったんだっけ?
鳥羽伏見の戦いとは?勃発から終結までを解説!!
鳥羽伏見の戦いは、戊辰戦争最初の戦いで旧幕府軍の戦いです。
鳥羽と伏見城で戦ったことから鳥羽・伏見の戦いと呼ばれるようになりました。
鳥羽伏見の戦いは、どういう理由で始まったの?勃発の原因とは!
鳥羽・伏見の戦いは、将軍の徳川慶喜の就任から始まります。
慶喜に不満を抱いていた武士たちは、各地で慶喜に反旗を翻そうとしていました。
慶喜は、徳川家を守るために大政奉還を行いますが、王政復古の大号令で薩摩や長州に徳川の位や領地を奪われそれにこらえることができなくなった幕臣たちは各地で兵を集めて慶喜に兵を率いるように願い出てついに鳥羽・伏見の戦いが始まるのです。
鳥羽・伏見の戦いが勃発!!始まりから終結まで
鳥羽伏見の戦いは、徳川慶喜の挙兵から始まり、新政府軍は西郷隆盛(博多華丸)と大久保利通(石丸幹二)が薩摩兵と長州兵を率いたことから始まり
新政府軍の兵は、5000人ほどで旧幕府軍は新選組などをいれると15000人を超えたそうです。
戦いが始まったのは、鳥羽からでした。
突撃を開始しようとするも、慶喜から止められている旧幕府軍は、業を煮やして突撃を開始するのです。
最初は、数で勝る旧幕府軍が前方隊をむりやり押切り、突撃を開始しました。
幕府は、フランスと同盟を組んでいてフランスから送られた武器などを使って戦いました。
新政府軍は、旧幕府軍の突撃を見るとイギリスからわたってきたアームストロング砲で旧幕府軍をつぎつぎと打ち破ります。
戦況をいっぺんにかわり新政府軍は、数で勝る旧幕府軍を押し始めたのです。
旧幕府軍側の指揮をとる武将などは前線から逃亡を開始しました。
逃亡をすると考えていた新政府軍は、淀城に兵を置いていて淀場付近でも戦うのです。
次は、舞台が移り伏見方面で戦います。
奉行所内などを囲む新政府軍も追い払おうと新選組や会津藩兵が進みますが砲撃で跳ね返されます。
ついに、旧幕府軍は新政府軍に数の差で勝とうとしましたがぼろぼろになります。
鉄砲ではなく銃やアームとロング砲を用いる新政府軍をと互角に戦うことができませんでした。
その時、新政府軍は錦の御旗といって天皇の旗を掲げます。
これをみた旧幕府軍は、自分たちは朝敵だということを知らされて戦意を失いました。
そこからも攻撃を続ける新政府軍に敗北を認めました。
家臣たちは、将軍である徳川慶喜に指揮をとってもらうように頼みました。
ですが、その夜に慶喜は急遽大阪城からひっそり抜け出し江戸城まで退却してしまうのです。
数の差がち違っても新兵器があれば負けることに気づいけなかった幕府軍は、敗北を決して徳川幕府再興することができなかったのです。
慶喜の撤退とは?何が理由で撤退したのか!
慶喜は、なぜ撤退したのでしょうか?
慶喜が撤退した理由を調べました。
慶喜は、○○になることを恐れていた!
一つの説が慶喜が朝敵になることを恐れていたことです。
慶喜は、以前に将軍になったばかりで幕府をなかなか統治できず朝廷からの信頼も受けていません。
信頼がないのは、孝明天皇が崩御してのちの明治天皇が就任したからです。
孝明天皇から莫大な信頼を受けていた慶喜も天皇が変わるとそうでもありません。
つまり、錦の旗がたったことを恐れていた慶喜は逃げ出し江戸城まで撤退したという説です。
慶喜は、○○を恐れた!!相手を恐れた慶喜は撤退
もう一つが慶喜は、新政府軍を恐れていた説です。
慶喜は、フランスからの援軍や近代兵器そして数で勝っていても勝てないことに気づきアームストロング砲や新政府軍に恐れをなして撤退したのです。
フランスから旧幕府軍は、援軍や近代兵器をもらっていて新選組からの応援もあり旧幕府軍の動員兵は1万を超えていました。
新政府軍は、勇気をもって旧幕府軍に対抗したものの慶喜には策略に見えたかもしれません。
慶喜は、○○の反逆を恐れていた!殺気を感じて撤退したの?
最後が慶喜は、幕府に入っていた幕臣たちの裏切りを恐れていたのかもしれません。
家臣たちは、幕府に入っていて徳川慶喜は幕府を大政奉還でつぶしたという認識になっています。
200年以上続いた幕府を崩壊させて自分たちの役職をとった慶喜への恨みが慶喜自身もわかっていたかもしれません。
家臣たちの裏切りをもっとも恐れていた慶喜が撤退したという説です。
どの説も有力で慶喜は、将軍になることを自分から好捕したわけではなく多くの人から支援されてこそ将軍になったのです。
慶喜が撤退したことを知った旧幕府軍は、戦意を失い戊辰戦争での確実な勝利を得られなかったのです。
今回の記事は、どうだったでしょうか?
青天を衝け鳥羽・伏見の戦いの演出が楽しみですね!
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