2021年大河ドラマ青天を衝けで渋沢栄一が主人公にきまり第20話では、土方歳三と渋沢栄一が縁を持つことになります。
土方歳三は、最後の最後まで幕府に尽くしたラスト侍です。
土方歳三の最後の戦いとして有名なのが函館戦争です。
函館戦争は、戊辰戦争最後の戦いで箱館戦争とも書きます。
今回は、青天を衝けで渋沢栄一と関係をもった土方歳三の最後の戦い函館戦争について記事に書き込みました。

記事には、青天を衝けのネタバレを含む場合があります。
ご注意ください。

青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~
函館戦争の真実とは?土方歳三最後の戦いの舞台裏!

函館戦争は、どんな戦いだったんだろう?
函館戦争について勃発の理由から終結まで解説
函館戦争の原因は?
函館戦争の始まりは、さかのぼって徳川将軍第14代将軍・徳川家茂の死から始まります。
家茂がなくなると朝廷からも幕府からも期待された一橋慶喜は、将軍になることを決意しました。
しかし、慶喜の就任に納得のいかなかったものは孝明天皇が崩御したのをきっかけにのちの明治天皇からの勅命をもらい長州や薩摩は軍を動かし京都に上洛していました。
ついに、慶喜は大政奉還といって幕府を返上することを決めます。
それでも納得のいかなかった薩長は、王政復古の大号令を認めることを迫るのです。
王政復古の大号令は、幕府の権力と領地・位などのすべての力を朝廷に返上することです。
慶喜は、これも認めました。
ですが、家臣たち(幕臣)は怒りに耐え切れず慶喜を対象に担ぎ上げ京に兵を送りました。
そこから戊辰戦争が始まります。
鳥羽伏見の戦いで惨敗して甲州勝沼の戦いで援軍が来るのが遅くなり敗北。
上野戦争で将軍の警護隊である彰義隊が新政府軍に壊滅して、会津戦争で会津藩が敗北降伏した先に旧幕府軍は蝦夷共和国を設立しました。
榎本武揚らを中心とする旧幕府軍は、蝦夷で新政府軍と戦おうとします。
函館戦争勃発!!始まりから終結までを解説
函館戦争は、渋沢栄一らが帰国した後に起こります。
最初に土方をはじめとする新選組が五稜郭を攻め落としました。
そして、宮古湾海戦が始まります。
新政府軍の艦隊甲鉄を奪いに行こうとしますが、失敗します。
宮古湾海戦で急な旧幕府軍の奇襲に耐え抜いた新政府軍は、ついに旧幕府軍討伐のために蝦夷地へと上陸します。
次の歩合は、松前に残る旧幕府軍と新政府軍が戦う松前戦争です。
4月11日に領地を増やそうとした旧幕府軍は、松前から打って出て新政府軍と勇敢にたたかったものの遊撃隊を率いる伊庭八郎らの負傷により指揮型取れなくなり4月17日には松前を落とされ撤退しました。
木古内の戦いで新政府軍から木古内領を奪います。
ここまで順調に進んでいたものの、矢不来の戦いで海上からの大砲攻撃があったため旧幕府軍は150人以上の死者を出して函館まで逃げました。
この時に旧幕府軍の負けだということが分かった者たちは、次々と新政府軍の元へと逃げたのです。
この戦いをきっかけに旧幕府軍は、戦意を失い敗北を続けます。
土方歳三の指揮のもと新選組らは二股口で新政府軍と激闘を続けます。
ですが、土方たちは新政府軍の攻撃がすさまじく撤退を余儀なくされます。
4月28日に新政府軍は、一気に函館戦争終結のために五稜郭へと総攻撃を始めます。
最初に新選組の島田誡らがいる弁天台場へと攻め入り弁天台場から新選組を追い出します。
新政府軍の奇襲で弁天台場が落ちたという知らせを受けた土方は、なんとしてでも海戦で戦う榎本武揚らに影響がかからないように弁天台場を攻撃する新選組を助けるために五稜郭から打って出ます。
弁天台場に救援に行こうとした土方を待っていたのは、大量の新政府軍でした。
新選組は、一人ずつ倒していきますが土方が鉄砲に打たれ倒れました。
土方を失った旧幕府軍は、降伏を初めて榎本武揚が降伏したことにより函館戦争は終結しました。
今回の記事は、どうだったでしょうか?
青天を衝け登場の戊辰戦争も楽しみですね!
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