2021年大河ドラマ青天を衝けで大隈重信役に大倉孝二さんに出演が決定しました。
大倉孝二さんは、明治政府で活躍し、内閣総理大臣となった大隈重信を演じます。
今回は、大倉孝二さんのプロフィールと経歴そして大隈重信の生涯を記事にまとめました。

記事には、青天を衝けのネタバレを含む場合があります。
ご注意ください。

青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~
大倉孝二のプロフィール・経歴と大隈重信の生涯を解説!!

大隈重信は、どんなことをしたんだろう?
大隈重信の生涯とは?どんなことをした人?
大隈重信は、佐賀城下会所小路で佐賀藩士の大隈信保の息子として生まれました。
重信は、昔から頭がよく大隈家も佐賀藩の砲術長として佐賀藩を支えていたため、一躍有名になったのです。
7歳で佐賀をはなれ、水戸にある弘道館に入りました。
弘道館では、頭の良いものを集めていて優秀な人材であれば水戸藩士になることもできるのです。
重信は、弘道館に入ってから尊王攘夷派として水戸で活動を続けていて、藩校の改革も幕府に訴えていました。
弘道館では、国学や武術・武芸や学問などを習うそうです。
重信は、長州藩と江戸幕府とで対立していた仲を直そうと考えましたが、藩政が大きく変わることはありませんでした。
1867年では、前土佐藩主の山内容堂が徳川将軍第15代目の徳川慶喜にすすめた大政奉還に賛成していて1881年には天皇の東北巡幸にお供します。
ですが、明治十四年の変で参議を辞任しました。
1882年の45歳の時に、立法改進党を作り党首となった後に東京専門学校を作りました。
これが、のちの早稲田大学になるのです。
51歳の時に内閣総理大臣ができて伊藤博文(山崎育三郎)が就任、大隈は外務大臣に就任するのです。
52歳の時に爆弾を投げられて右足を切断しました。
1898年に内閣総理大臣に就任するも、11月には解散しました。
1914年にもう一度内閣総理大臣に就任しました。
1922年に病気でこの世を去るのです。
大隈は、当時江戸幕府を終結させた明治維新を支えることになる薩摩藩と長州藩でもない佐賀藩の出身で内閣総理大臣になりました。大隈重信は早稲田大学設立したことで早稲田大学には大隈重信の像が建てられています。
大倉孝二のプロフィールと経歴・出演作品を紹介!!
大倉孝二の生年月日
誕生日 1974年7月18日
出身地 日本・東京都立川市
血液型 AB型
大倉孝二の経歴
舞台をはじめ、各媒体で活躍してます。
優柔不断な青年・コミカルな役・ひねくれ者の役など、クセとインパクトのある役柄を演じること多く、「キリン生烏龍」などのインパクトのあるCM出演がありました。
2002年の映画『ピンポン』でのアクマ役で、有名になりました。
その後、大河ドラマ『新選組!』やバラエティー番組の出演など、活躍の場を広げています。
大倉孝二の出演作品
大河ドラマ
2004年 新選組! 河合耆三郎役
ドラマ
2005年3月3日 富豪刑事 栗田厚雄役
2006年1月 西遊記 老子役
2019年3月30日 名探偵 明智小五郎 桂正一役
映画
2007年 西遊記 老子役
舞台
2002年1月‐3月 彦馬がゆく 伊藤博文役
大倉孝二は、ほかにもたくさんのドラマや映画・舞台などここでは紹介していないCMなどにも出演しています。
今回の記事は、どうだったでしょうか?
青天を衝け大隈重信の登場が楽しみですね!!
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