2021年青天を衝けは渋沢栄一が主人公の大河ドラマで、幕末の内乱や明治維新の時代を背景に、栄一の人生が描かれます。
幕末の時、栄一はパリに行っていて、幕府の最後を見届けることができずにいました。
幕府は、将軍の徳川慶喜が自ら壊したのですが、戊辰戦争が勃発し新政府軍が快進撃を続け、負けなしで追い詰めたときにある部隊が立ち上がりました。それが喜作が頭取を務めた彰義隊です。
今回は、その彰義隊が戦った上野戦争についてまとめました。
戊辰戦争の中でも最後の江戸の戦いとなったのが上野戦争よ。
どんな戦争だったのかな?
上野戦争勃発と平九郎の死!西郷も喜作も登場?
上野戦争と勃発の理由は?
上野戦争は、戊辰戦争の中でも大きな戦争です。
1867年、徳川慶喜が江戸幕府の将軍に就任後、各藩の反対意見におされ前土佐藩主の山内容堂からすすめられた大政奉還をします。
大政奉還とは、徳川幕府を終わらせて政治の主導権は徳川に譲るものの、主な主導権は朝廷や各藩にわたすということです。
ですが、長州藩や薩摩藩はそれを許さずに王政復古の大号令で徳川幕府を完全に滅亡させ、政治の主導権も朝廷で徳川が所有している領地も朝廷のものにしようとします。
薩摩や長州は、海や山道をいき江戸城まで生き年貢やお金などを収めてまた領地へ帰る参勤交代での恨みなどを抱えていたのです。
幕府に使えていた元幕臣たちは、怒りに耐え切れずついに新政府軍と戦うことになるのです。
鳥羽・伏見の戦いから始まった戊辰戦争は、新政府軍の快進撃で将軍のいる江戸城に向けて進軍を開始しました。
鳥羽伏見の戦いで負けて旧幕府軍は、新選組に兵を預けてもう一度体制を立て直そうとしましたが新選組(この時は、甲陽鎮部隊)が敗北します。
近藤勇は、つかまり処刑され数多くの幕府軍がなくなりました。
徐々に進軍する新政府軍に、旧幕府軍は打つ手がなく、江戸幕府を江戸無血開城で完全に終了するのです。
しかし、江戸無血開城に耐えることができず彰義隊という渋沢喜作(高良健吾)が作った部隊は兵を集めてもう一度幕府を立て直そうと考えるのです。
上野戦争は、新政府軍の進軍を阻止するために兵を集め対抗しようとしましたが、結果はまけてしまいます。
彰義隊は、兵を募集して上野の寛永寺にて新政府軍を迎え撃とうと考えました。
新政府軍は、彰義隊の挙兵を知り、長州藩士の大村益次郎を大将に兵を向かわせました。
ついに、上野戦争が始まるときに開戦時の時の彰義隊は1000人ほどで新政府軍は10000人ほどいました。
戦闘中には、彰義隊が4000人ほどに膨れ上がりました。
戦闘は、続き彰義隊は必死に寛永寺への入り口である黒門を守りました。
対して黒門を攻撃するのは、薩摩出身の西郷隆盛です。
西郷は、圧倒的な兵力と武力を見せつけ近代的なアームストロング砲で黒門をぶっ飛ばそうとしました。
山からは、実際に西洋から取り入れられたと思われるアームとロング砲を佐賀藩が寛永寺にめがけて放ちました。
彰義隊は、ぼろぼろになり始めます。
西郷は、一気に突撃命令を出し自らが戦いました。
黒門は、焼かれ兵はぼろぼろになり突撃させる余裕もなくなった彰義隊はこれからも戦うために少しづつ兵を逃がしますがそこは策士の大久保と大村益次郎が許しませんでした。
彰義隊は、全壊滅させるために佐賀藩や忍城・川越に命令させた兵を動員して逃げようとした彰義隊を次々に打ち取ります。
ついには、彰義隊の現リーダーになったいた天野八郎にけがを負わせて打ち取るのです。
指揮を執ることができなくなった彰義隊は、次々に打ち取られていきました。
寛永寺は、全焼は避けるもいたるところが焼け落ちます。
上野戦争に参加していた新選組の隊士も、打ち取られ壊滅状態にあった彰義隊を救おうと元リーダーだった喜作が戻ってくるのです。
喜作は、振武隊というものを作っていて尾高純忠や尾高平九郎を率いて救援に行こうとします。
寛永寺は、ぼろぼろになりリーダーも失った彰義隊は全員が打ち取られました。
策士大久保・大村益次郎、のちの陸軍大将となる西郷隆盛たちは連携をとり、新政府軍の確実なる勝利を手に入れたのです。
彰義隊が壊滅したことを知った喜作でしたが既に突撃を開始していました。
その時、平九郎が傷を負い逃げていたところを打ち取られたのです。
旧幕府軍は、兵を失い圧倒的な新政府軍の強さを知らしめられ、この上野戦争を機に旧幕府軍が勝つことはなくなるのです。
その後、彰義隊はなくなり解散していて生き残った者たちも最後まで旧幕府軍で戦おうとしましたが、上野戦争後、新政府軍の者たちに次々と打ち取られました。
尾高平九郎の死!!栄一は、深く悲しむ
尾高平九郎は、上野戦争に参加中にけがを負い逃げている途中に打ち取られました。
平九郎は、栄一を尊敬していて栄一の養子に入り、渋沢平九郎と名乗っていました。
幼いころから倒幕討幕と言っていた栄一や長七郎・純忠などを見ていき幕府にのちに使えて彰義隊として戦いますが解散したのちに振武隊の一部として活躍していました。
平九郎は、幼いころから道場に通っていて剣術もよく武術や学問にも優れてました。
その才能を見込んだ幕府や栄一は、幕臣になれるように手配して喜作や栄一の元幕臣になり徳川幕府を守ろうと強く決心しました。
栄一にとっては、平九郎は年下のいとこで、結婚した千代の弟であることから今の幕府のことを教えたり尊王攘夷を決行する前には平九郎に手伝ってもらったりと親しんでいきました。
栄一は、平九郎の死を知ると深く悲しみ平九郎の墓を作るのです。
コメント