小日向星一と小日向春平の関係は?一家は超有名俳優の集まり!!

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2021年大河ドラマ青天を衝け5月2日に超有名俳優の出演が決定しました。

2人の出演が決まった時にSNS上では、小日向家について話題になりました。

 

今回は、小日向家の有名俳優人物と小日向星一さんと小日向春平さんが演じる松平容保と松平定敬の生涯を記事にまとめました。

 

くまのこ
くまのこ

記事には、青天を衝けのネタバレを含む場合があります。

ご注意ください。

くまぞう
くまぞう

青天を衝けを楽しむ参考になるといいな~

 

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小日向星一と小日向春平が演じる松平容保と定敬の生涯とは?

くまぞう
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松平容保と松平定敬は、何をした人かな?

松平容保は、何をした人?実は、新選組を作った人!!

松平容保(まつだいら・かたもり)誕生!!

松平容保は、1835年12月29日、高須藩邸で藩主の松平義建の息子として生まれました。

よく松平容保の子孫は、徳川家の血筋を引いているといいますが、容保の父・義健は正当な徳川水戸家の子で養子入りしたのです。

 

1846年に容保は、叔父にあたる会津藩主の容敬の養子になりました。

そして、容敬は次期会津藩主にふさわしい当主にするために会津の教育を受けました。

 

1852年に容敬が亡くなり2月15日に会津藩主として肥後守の名前を与えられます。

1860年井伊大老が暗殺されて、徳川御三卿たちは争うように戦闘の構えを取っていました。

ですが、なんとしてでも阻止せねばならないために、容保は水戸藩を攻めることを断固反対して、御三卿同士の戦いを阻止しました。

 

28歳の時に5月3日家茂から、「登城して幕政の相談にあずかるように」と命令されました。しかし、この時、容保は病にかかっていてこれをさんざん拒否しました。

ですが、一橋慶喜や諸藩に押されたことをきっかけに京都守護代となります。

 

1863年3月10日に浪士組のうち壬生村に残留していた浪士たちを壬生浪士組として改めて京都を守るように言い伝えて治安を維持するように動きました。

1864年に京都守護職を免じて陸軍総務職に就任しました。

長州征伐のために軍としての高い位を持ち幕府の中で軍を動かして、長州を征伐するために転任しました。

 

6月5日に新選組が、池田屋事件にて朝廷転覆と松平容保暗殺計画を阻止することに成功したと聞きました。

7月18日に禁門の変が勃発、薩摩と長州がぶつかった戦いでした。

 

松平容保は、薩摩を支援して幕府方として会津の軍を率いて参戦し、長州を叩きます。

また、新選組も参加していました。

8月2日に将軍上洛を成すために容保は、家臣を江戸に送り上洛をしてもらうおうとしますが失敗します。

 

この上洛には、朝廷と幕府を結びつけるという大きな理由があり将軍・家茂に何かあったときのために、朝廷が藩に指示を出して動くように幕府の権力を見せつけるためのものでした。

また、7月20日に将軍・家茂が長州征伐の途中に死去したのをきっかけに、前々から将軍候補に推されていた一橋慶喜が将軍職に就任します。

その後、薩摩が長州と手を結び薩長の力が強くなったため慶喜は長州征伐を中止しました。

 

さらに、前土佐藩藩主・山内容堂からの案で慶喜はついに大政を奉還しました。

いわゆる大政奉還です。

 

それを聞いた、薩長は王政復古の大号令という徳川に権威と位は取り上げで領地も没収という完全なる徳川幕府滅亡を試みました。

この薩長の対応にこらえることができなかった幕府の家臣は、兵を集めて京で戦うことになるのです。

これが、鳥羽伏見の戦いで、戊辰戦争の始まりです。

容保は、旧幕府軍の強い味方として新政府軍と衝突します。

また、会津藩は領地が多いことや水戸烈公と呼ばれた徳川斉昭の追い鳥狩を実施し強い兵力があり、非常に頼られていました。

 

鳥羽・伏見の戦いが勃発してすぐ、慶喜が戦線離脱したことにより幕府軍は敗北します。

また、甲州勝沼の戦いで新選組が甲府城を落としますがすぐに援軍が来て敗北しました。

上野戦争でも西郷隆盛率いる薩摩軍が彰義隊のいる黒門を突破します。

彰義隊は、全滅して生き残った者も逃げる途中で討ち取られました。

白川口の戦いで白川城を守るために容保は、兵を家臣に任せて新政府軍の動きを止めようと阻止しますが、結局敵の新兵器で会津藩は撤退したので白川城は敵の手に落ちました。

奥羽列藩同盟が成立して容保は、会津藩として会津戦争で新政府軍と戦います。

 

ですが、白川口の戦いのように大砲やガトリングで兵たちは消耗していき、最後は敵に背を見せずに撤退を開始し、戦いは終わりました。

 

1880年に日光東照宮の宮司に任ぜられます。

その後、肺炎のため亡くなりました。

くまぞう
くまぞう

容保は、最後まで幕府を守ろうと必死に戦ったんだね!

松平定敬の生涯とは?幕末の悲運の兄弟

松平定敬(さだあき)は、1847年に美濃国・高須藩の藩主・松平義建の息子として生まれました。

1859年に桑名藩主の松平定猷が死去すると、婿養子として桑名藩の藩主となります。

 

1863年の第14代将軍・徳川家茂の上洛の際には京都警備として随行しました。

1864年に京都所司代に任命され、実の兄の松平容保と、禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮に任命された一橋慶喜と画策して、朝廷を新たに我々で支えようという形勢を建てました。

同年の禁門の変では、会津藩と共に出兵して長州藩と激突、また天狗党の乱でも桑名藩主として戦いました。

 

1868年の戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いが始まると慶喜に従い霊厳寺にて謹慎しました。

箱館戦争終結前に松平容保と定敬は、外国に逃亡しようと計画を立てますが、お金がないため中止になります。

1877年に起きた西南戦争では旧桑名藩の兵を率いて出兵しました。

そして、1908年に亡くなります。

くまぞう
くまぞう

兄と共に逃亡を考えたけど結局は、次の明治政府のために働いたんだね!

小日向一家の関係は?父は誰もが知るあの有名俳優・小日向文世!

小日向文世さんと星一さん春平さんは親子!!過去には、文世さんと星一さんはドラマで共演

小日向文世さんと星一さん春平さんは、調べたところ親子でした。

 

 

くまぞう
くまぞう

小日向家が俳優一家でビックリしました。

文世さんは、過去の大河ドラマ真田丸や数多くのドラマに出演、息子の星一さんとはドラマ「エルフ」で共演したそうです。

2020年のドラマ「MIU404」で小日向春平さんと星一さんが登場して、小日向家は再び注目を浴びました。

今回は、珍しい松平容保と定敬は実の兄弟役ということになります。

第15話では、慶喜と共に御所に登場していましたね。

 

また、兄弟そろっての共演が楽しみですね!

青天を衝け星一さんと春平さんの登場が楽しみですね!!

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